初めての転職先で知った事実

初めての転職先で知った事実

1.ハローワークの募集要項はウソ
2.社長の就任理由
3.総務課長の経歴
4.はじめて知った内部事情
5.またまた転職の決意

1.ハローワークの募集要項はウソ
私が転職を繰り返していた時代は、ハローワークに限らず求人情報はウソのオンパレードでした。
今は法律も整備され、信用できる情報が多くなりましたが、それでも一部のブラック企業では平然とウソを記載して優秀な人材を潰しているところも存在します。
私が転職した和紙のメーカーも当然のようにウソの実績で求人していたのです。
それが判明したのは入社してから3か月が過ぎる頃でした。
求人票にはボーナスは年2回、昇給は年1回と記載されておりましたが、過去10年以上もの間、ボーナスも不支給、定期昇給もないことが分かりました。
6月になってもボーナスの話が出ず、7月も終わる頃にもボーナスの話題にならず、痺れを切らした私が先輩に訊ねたところ真実を話してくださりました。

2.社長の就任理由
ボーナスや昇給が止まった原因は、女性社長にありました。
どちらかというとキャリアウーマンのような存在でしたが、とにかくケチだったそうです。
しかし、先輩から聞いた話では、その会社は女性社長の実のお父さんが立ち上げ、全国に支店を出すなど規模を拡大されたそうです。
そして、創業者の後釜として娘婿を社長に据えて、自分は会長職に退かれました。
そこから数年間は会社の売り上げも維持されておりましたが、時代の変化とともに和紙の需要が減り、売り上げも下降しました。
その責任を取らされる形で娘婿の社長は追い出され、実の娘が3代目の社長に就いたそうです。

3.総務課長の経歴
また、私の面接をした総務課長の経歴も少し特異なものでした。
地元では一番大きな地方銀行の出身とは伺っておりましたが、当初は銀行からその会社の経営を建て直すために出向で来られていたそうです。
しかし、建て直しに失敗し、そのまま片道切符で銀行に帰ることはなく転籍したとのことでした。
銀行も小さな企業の建て直しをできなかった社員に与えるポジションはなかったということが事の真相でした。
その経歴を聞いて、私の中の会社への不信感が徐々に芽生えはじめました。

4.はじめて知った内部事情
そして、一年に一回、全国の支店から全従業員が本社に集まり、懇親会をする場がありました。
ちょうど7月末が会社の決算月で、8月末に集まりました。
そこで、各支店の支店長から信じられない話を聞くことになります。
若手で入社したところの私に同情される支店長が次々と社内の経営状況を話してくださりました。
全国には5か所の支店がありましたが、全てご夫婦で運営をしておられること。
2名で支店を運営しているにも関わらず給料も大学卒業者の初任給にプラスα程度しか支給されていないこと。
現社長に代わってから、メインバンクが少しずつ距離を持ち始め、その代替として総務課長が譲られたこと。
近い将来、東北の大きな問屋が取り引きを中止すること。
信じられないような話はまだまだありましたが、とにかく私の心はどんどん曇っていくことになりました。

5.またまた転職の決意
求人票の虚偽、現社長の就任理由、総務課長の経歴、そして何より全国の支店長から聞かされた会社の実態。
このような現実を知り、私の心が動かないはずがありません。
転職した年の末には次の転職先を探す決意をしました。
しかし、有給も取ることができない、現代のようにスマホで簡単に求人を探すこともできないような環境では、働きながら転職活動をすること自体に無理がありました。
そこで、私は両親に相談したのです。

いちいち聞くな勝手にやるな

新たな転職活動

新たな転職活動

1.実家に戻る
2.転職活動を再開
3.なかなか面接まで辿りつかない
4.高圧的な面接
5.我慢の連続

1.実家に戻る
前の会社を退職できた私は、実家に戻り一から自分自身を見直すことにしました。
幸い、少しだけでしたが貯蓄もあり実家暮らしとなりましたので、当面の生活費の心配もなく、考える時間は増えました。
医療機器の販売会社でのパワハラ、和紙のメーカーでの杜撰な求人情報、退職に難航したこれまでの経緯。
そして、何より次に転職する企業の条件設定。
自身の今後について、この2〜3年の経験とこれから益々変わりゆく社会の情勢を加味しながら、転職先を絞ることにしました。

2.転職活動を再開
まず、私が転職活動を再開するにあたり、企業のカテゴリーを決めました。
限りなく公に近い企業、または公の機関。
そこで、医療法人、社会福祉法人、市役所などの行政機関の3種類のみを転職先の候補にしました。
最低でも税理士法人や社労士法人など将来的に私自身も資格を取ってキャリア形成ができるような企業を探すことにしました。
しかし、転職活動を再開する中、自分で決めたこの条件が足かせとなったことも事実です。

3.なかなか面接まで辿りつかない
現代のようにスマホ一つで求人情報を取得できる時代ではなく、また転職エージェントや転職先を紹介していただけるようなサービスもありませんでした。
新聞の求人欄に掲載されている情報に目を通し、定期的にハローワークに通うようになりました。
企業にもよりますが、まずは一次試験として履歴書を送り、企業の条件次第で面接に辿り着くというパターンが多く、大学を卒業後、毎年転職を繰り返している私には不利な状況であったことは否めません。
なかなか面接まで辿り着くことができず、少し焦った時期もありました。

4.高圧的な面接
しかし、1か月に2~3回程度は面接をしてくださる企業もありました。
面接まで辿り着く限りは必ず合格する、と意気込んではおりましたが毎回届く不採用通知。
転職活動がここまで難しいものなのかと改めて知ることになりました。
特に税理士法人や社労士法人の面接では、面接官が士業ということもあり、かなり高圧的な面接も受けました。
全くのど素人が舐めてますか?と言わんばかりの質問を繰り返され、その度に心が折れそうになりました。
民間企業は相変わらず募集をしておりましたが、25歳までに2度の失敗をしており、私も少なからず懲りておりましたので、条件を変えるつもりはありませんでした。

5.我慢の連続
書類選考で不採用。
面接で不採用。
手元にあった貯金も限界。
実家暮らしとはいえ、無職の私がいつまでも家にいる訳にはいかい現実。
我慢の連続でした。
それでも我慢に我慢を重ねていると、運も味方をしてくれるようになります。
公務員試験の勉強も並行して行っていたある日、大きな医療法人の募集を見つけたのです。
しかも職種は一般事務。
履歴書を送り、ハローワークからの紹介状を持って面接に行きました。
面接の感触も良く、もしかしたら合格するかも知れない。
そのような淡い期待もありましたが、いつもどおり不採用通知が届きました。
しかし、ここから一発逆転のチャンスが訪れるのです。

丸投げ上司末路

④履歴書と職務経歴書の違いと効果的な書き方

転職活動では必ず提出を求められる「履歴書」と「職務経歴書」。

どちらも自分をアピールするための大切な書類ですが、役割や書き方のポイントは大きく異なります。
ここでは両者の違いを整理し、効果的な書き方のコツを解説します。

1. 履歴書の役割

履歴書は「応募者の基本情報を伝える書類」です。
氏名・住所・学歴・職歴・資格・志望動機など、応募者のプロフィールを簡潔にまとめたものです。
企業側は履歴書を通じて「どんな人物か」「最低限の条件を満たしているか」を確認します。

履歴書で特に大切なのは「誤字脱字がないこと」「空欄を残さないこと」。
丁寧に書かれているかどうかは、応募者の誠実さや基本的なビジネスマナーを測る材料となります。

2. 職務経歴書の役割

一方、職務経歴書は「これまでの経験や実績を詳しく伝える書類」です。
履歴書が「自己紹介」だとすれば、職務経歴書は「自己PR」に近いものといえます。
仕事内容や担当業務、成果を具体的に書き、企業に「自社で活躍できる人材かどうか」を判断してもらうことが目的です。

職務経歴書に決まったフォーマットはなく、自由度が高い分、工夫次第で大きな差がつきます。
見やすさやわかりやすさを意識して作成することが重要です。

3. 効果的な履歴書の書き方

  • 学歴・職歴は最新からではなく古い順に記入

    学歴は高校卒業から、職歴は入社から順に書くのが一般的です。 
  • 志望動機は具体的に

    「御社の企業理念に共感したため」だけでは不十分です。
    「これまでの営業経験を活かし、御社の新規開拓に貢献したい」と具体的に記しましょう。 
  • 空欄をなくす

    書ける資格や自己PRがあれば積極的に記入し、ブランクが目立たないようにします。

4. 効果的な職務経歴書の書き方

  • 業務内容を簡潔にまとめる

    ただ「営業を担当」ではなく「法人営業として新規顧客開拓を担当し、年間○件の契約を獲得」と数字を交えると説得力が増します。 
  • 成果や工夫を強調する

    「業務改善を行い、処理時間を20%削減」など、取り組みや結果を具体的に書きましょう。 
  • 読みやすい構成にする

    箇条書きを用い、見出しをつけると採用担当者が短時間で理解しやすくなります。

5. 履歴書と職務経歴書の組み合わせで伝える

履歴書で「人柄」や「基本情報」を伝え、職務経歴書で「実績」や「スキル」を示す。
この2つを組み合わせることで、応募者の魅力を多角的にアピールできます。
特に転職では職務経歴書が重視される傾向があるため、力を入れて作成することが重要です。

まとめ

  • 履歴書は基本情報を簡潔にまとめる「自己紹介」 
  • 職務経歴書は経験や実績を詳しく示す「自己PR」

この違いを理解し、それぞれの役割に沿った書き方を意識することで、採用担当者に「会ってみたい」と思わせる書類になります。
転職活動の第一歩として、丁寧かつ戦略的に準備を進めましょう。

小さい会社 社長が嫌い

突然の方針転換

突然の方針転換

1.理事長からの発表
2.法人の方向性
3.大量の退職者
4.私自身の方向性
5.最後の転職活動

1.理事長からの発表
理事長からの発表は耳を疑うものでした。

「決算の結果、約10年ぶりに赤字になりました。銀行にそのことを報告したところ、新病院建設の融資をする前に財政を建て直すよう意見を受けました。これから、組合とも団体交渉を始めることになりますが、まずは全職員が一丸となって支出の抑制に努め、収入の増加を目指すようにお願いします。」

大きな食堂に集められた職員は動揺を隠せませんでした。
赤字の細かな額までは覚えておりませんが、この時点では翌年度には回復する見込みであるとのことでした。

2.法人の方向性
赤字決算を受け、法人の幹部が一番に手をつけたところは、やはり人件費でした。
私の経験上、企業運営の中で簡単に経費を削減できるものは人件費ですが、それを削ることにより、その企業からは優秀な人材が外に出ることと新しい人材の確保が困難になることは明白でした。
優秀な人材が減少すると残された職員の負担が増し、その不満がたまると次の優秀な人材も辞めていくという悪循環になります。
しかし、この医療法人の理事会ではあっという間に定期昇給の半減案が通りました。
経営という側面では最悪の方向性が出たのです。

3.大量の退職者
大きな医療法人でしたので、組合との交渉が年に2回ありました。
これまでは、その交渉の内容はとても前向きなもので、その年のボーナスにどれだけプラスαをできるのかという内容でした。
しかし、今回はプラスαどころか、ボーナスが支給されるかどうかも分からない、定期昇給が半減と、とても前向きとは考えられない内容の交渉でした。
この団体交渉の場で今でも記憶に残っているシーンがあります。

幹部の一人が「お前ら組合員は楽してる。」と発言されたことです。

その幹部は医療の技術者にも関わらず部長級から一職員に降格させられ、すぐに院内の掃除係になっておられました。
それだけピリピリした状態でしたので、当然大量の退職者が続出したことは言うまでもありません。

4.私自身の方向性
退職される方は、何かしらの資格を持たれていたため慢性的な人手不足の業界では引く手数多です。
医師、看護師、レントゲン技師、検査技師など、より大きな病院に移ることができる人ばかりです。
医療法人の収入の多くは診療報酬と呼ばれる点数式で計算されるものになります。
特に看護師の数は病床数、つまりベッドの数との割合が重要になり、ベッドに対して看護師の数が少ない場合、診療報酬も下げられるシステムでした。
看護師が大量に退職し、当然ですが新しく入職してくる者もなく、一瞬にして少しの経営難が大きな経営難に向かっていきました。
ここで、何の資格もなく、結婚、マイホームの購入、そして子どもが生まれたばかりの私にも決断のときが迫ってきたのです。
残るも地獄、転職するのも地獄。
どうしたものかと悩んでいるときに一つの新聞記事を目にしました。

5.最後の転職活動
妻の出産で里帰りをしていた私たちは、妻の実家と私の実家を行き来しつつ、そこを拠点として仕事に通っておりました。
昇給が半減したとはいえ、まだまだ法人の存続は見込むことができましたので、とりあえず目の前の仕事に打ち込むしかありませんでした。
過去の辛かった転職活動と同じようにはできないという家庭事情もありましたので、選択肢はなかったということが本音です。
しがみつくと言えば聞こえは悪いですが、腰を据える覚悟をしていたのです。
しかし、転職の神様は私を見捨てていなかったようです。
実家から通勤をしていた私はとある市役所の職員募集の記事を目にすることになります。
これまでにも公務員試験は受験していたものの後一歩のところで不採用になっていたのですが、勤務している医療法人の経営難、子どもが生まれて偶然、市役所職員の新聞記事を目にした私。
まだチャンスはあると決心しました。

仕事覚えられない萎縮

正社員のお仕事はこれまでフルタイム勤務が主だった?

正社員のお仕事はこれまでフルタイム勤務が主でした。

若い頃は高い年収や社内での出世などを目標にしてフルタイム勤務を頑張れた人々も、
家族構成が変わったり、ライフステージが進むにつれて徐々に仕事に疲れてくるかもしれません。
フルタイム勤務の欠点は、基本的に決められたスケジュール通りに毎日働く必要があり、自由度が低めです。
休憩時間や休日などの割合も全体的に少なくなります。
年齢や経験を積み重ねた結果、今は経済力よりも逆に人生に余裕が欲しいと感じ始めたら、職を移る時期なのかもしれません。
以前は会社員と言えば、ほとんどフルタイム勤務一択という時代がありましたが、
近頃は働き方の多様化が進んでおり、実に色々な勤務のスタイルが登場しています。

・例えば、リモートワークの普及によって在宅勤務OKな仕事もあります。

在宅勤務になれば、会社員として安定した肩書きと給与所得を得ながらもプライベートな時間を無理なく確保出来ます。
職種によっては日常的な業務の大半がデジタル化しており、在宅でも不自由せずに勤務が出来るでしょう。
社員同士の意見交換や連絡なども、スマホのメッセンジャーアプリやPCのチャットを使えば円滑に行えます。
文字通り自宅が職場代わりになるので、毎日ヘトヘトになって通勤しなくても大丈夫です。
コンスタントに成果を出し続ければ更に自由度が高い働き方が選べるかもしれません。
プログラミングやWEB制作、デザイン制作などの専門性が高いお仕事は会社員という立場でありながらもフリーランスに近い働き方が出来ます。

・育児や介護等と会社員の仕事を両立させたい時

家庭の影響でフルタイム勤務が厳しくなる、というパターンもあります。
子どもが誕生したり、両親との同居が決まったりと暮らしに大きな変化が発生した時も転職を真剣に思案すべき時期です。
フルタイム勤務から在宅勤務OKの職場に転身すれば、お世話や支援が必要な家族の様子を見守りながらお仕事が続けられます。
何かあった時もスピーディに対応できますし、仕事と家族の世話の合間を縫って、癒しの趣味の時間等も確保しやすくなります。

 

仕事覚えられない 萎縮

年収は減ったけど満足している話

転職を経て今の職場に移ってから年収は正直なところ下がりました。それでも私は今の仕事に大きな満足感を得ています。そう感じる理由として、私にとって収入以上に大切な点が2つあります。 ・良好な人間関係 今の職場では人間関係にとても恵まれています。困ったことがあれば気軽に相談でき、一人で抱え込まなくてもいいと自然に思える雰囲気があります。もちろん仕事毎に担当の割り当てはありますが、「それはあなたの仕事でしょ」といった態度をとる人はいません。 このように、誰もが他人事ではなく、チームとして協力し合う姿勢を大切にしています。一緒に取り組んでいこうというスタンスが浸透している職場ではないでしょうか。 この環境に身を置いて改めて思うのは前職との大きな違いです。以前の職場は個人主義が強く、他人に協力を求めることさえ気が引けました。そのような背景もあって、私は適応障害を発症しています。誰にも相談できず、一人で悩み続けていた日々は本当に苦しいものでした。 でも、今はこういったチーム主義の職場で働けているからか良好な精神状態で働けています。まだ今は助けてもらうことが多いですが、いつか助ける側に回って恩返ししたいというのがモチベーションになっていることは間違いありません。 ・短期離職以外を評価 前職は1年未満という短期間での離職となりました。しかも次の職場が決まる前に退職が先に決まったため精神的な不安も大きかったです。一般的に短期離職の経歴となると、書類の段階で落とされてしまうことも多くなるのではないでしょうか。 そうした中で、今の会社は私を特別視せず、きちんと向き合ってくれました。退職理由や在籍期間の短さだけで判断することなく、これまでのキャリアや人柄を見て評価してくれたのです。この姿勢に私は救われました。 無職期間を挟むことなく次の職場へ移ることができたことで安心感も得られました。それ以上に、「自分という存在を見てくれる会社がある」と思えたことで、前向きな気持ちを取り戻すことができたのです。今ではこの職場で働けていることに喜びを感じていることに加え、短期離職の経歴に関係なく採用してくれたことに感謝も尽きません。 これら2つを総じて、もちろん年収が下がったことに対して不安がなかったわけではありません。けれども、心身の健康を取り戻して今の環境で働けることには何にも代えがたい価値を感じています。あのとき、勇気を持って一歩踏み出した自分の選択は間違いではなかったと今は胸を張って言えます。

職場 裏切り 人間不信